Apple BOY

己の眼でみて、己の耳で聴いて、揺さぶられて、ぷるんぷるん。

マリ

大好きだったマリ。

いたずら好きで、骨つき鶏肉の骨が大好きで、散歩が好きで、とってきたカエルと遊ぶのも好きで、寂しいのが嫌いで、すごく頭が良くて、いつも慰めてくれて、バッタを追いかけてどこまでもいってしまって、食事を取られそうになると少し怒って、一緒に朝日が昇るのをずっと静かに眺めてくれて、眠たい時は甘えてきて。

 

本当にもう大好きで、家族の中で一番俺と性格が合っていた。目がすごく綺麗で、本当の事見透かされているような気がして、少し恥ずかしくなるくらい。

 

でも、ある日突然いなくなった。

散歩の途中、野良猫駆除の毒エサを町内の人が勝手にまいていた。

それを食べてしまった。

食べた瞬間から吐き出そうとしてたらしいけど、すぐに体が痙攣し始めて、散歩に行っていた父さんはすぐに家に抱きかかえて連れて帰ってきた。何が起こったかも分からないし、一つしかない動物病院も閉まっている。

 

母ちゃんはずっと名前を呼んだけど、目はどこを見ているのか分からない。体はずっと痙攣している。すぐにマリは死んでしまった。

死ぬ前に母ちゃんの呼びかけに一度だけ母ちゃんの方を見たらしい。

 

お願いですから、こんな事が起きないようにして欲しい。どこでそんな毒エサを手に入れたか分からないけど、クソ馬鹿野郎にそんなものを扱わせてはいけない。

 

動物を飼っていない人には分からない事かもしれないが。彼女は僕の最高の友達で、家族で、玄関でいつも帰りを待ってくれてたんです。

 

どうかこういう事が起きないようにしてください。お願い。

螺旋からの脱却の方法

随分長い間、螺旋の中にいた。

ネガティブな螺旋である。

 

人が羨ましいなど、人に対してこうしてくれた方がいいなど、あれはああやっとけばもっと良かったなど。もっともっとあるが。

 

そういった螺旋の中で生きていた。

それは消えたと思ってもまたすぐに戻されてしまう螺旋の中。

 

気がついたら其処にいる螺旋の中。

 

良い映画を見た。螺旋がどっかにいってしまったとおもったが、気がつくと3時間後には螺旋の中にまた自分がいた。

 

いい話を聞いた。螺旋がどっかにいってしまったとおもったが、気がつくと4時間後には螺旋の中にまた自分がいた。

 

いい人に出会った。螺旋がどっかにいってしまったとおもったが、気がつくと半年後には螺旋の中にまた自分がいた。

 

でも螺旋を完全に降りた時期が来た。

その瞬間はものすごい夕日を見た時だった。

 

何でもない日に。

別に見ようとは思っていなかった唯の仕事帰りに。

ものすごい夕日を見た。

空も山も作物も雲も石も酸素も鳥も

全部が圧倒的なデカさを持っていた。

太刀打ちの出来ることがない、生かされているだけのちっちゃい者だと思い知らされた。

 

螺旋からの脱却の方法は。

そんなものは。

いずれ誰もが気付いてくれるだろう。

目に見えない微生物が足の下に蠢いてるのを感じたその時に。

想像力の範疇を超えたところにいるものが目の前にあるときに。

全て与えられていると知ったときに。

 

水がざわめきをおこして、

歌っているのが大きく大きく聞こえた。

その時に。

 

土より熱く

土を見なくなった。

僕が育った島は赤い土だ。

土を見なくなった。

僕は知らなかった。

 

あの頃、土は熱かった。

太陽の熱を握り締めたような熱さだった。

 

種と土がありゃ すごい。

 

トラクターの後ろについていって、土の中からゴロゴロと僕のバイトの給料を拾った。それを籠いっぱいに詰めて、お昼になってお弁当と冷えた麦茶を飲んだ。

熱い熱い赤い土の上に優しい風が来た。

爪の間に挟まった土の匂いと、自分がそれでいいと言っていた。

 

土より熱く。

土より熱く。

電信柱

今日僕は電信柱に出会った。

地面からニョキッと生えている電信柱に出会った。

 

寄り添うことは許されない。

 

仲よさそうに手を繋いでいるけど、とても寂しそうに見えた。何を思う。

 

自分が運んだ電力は自分の足元しか照らしてくれない。何を思う。

其処に立って。其処に立って何も思う。

 

僕は電信柱の一本一本にありがとうとお礼を言いたくなったが、なにせ数が多い。

すみません。と。ありがとう。と。コンクリートの分子構造。

 

寒かろうに、暑かろうに。

倒れたいのに足元しっかり固められて。

それでも手を取ってどうにか立ってる。

 

じじーぃ っと音鳴らして夜に怯えてる。

 

風が強い時にゃ

少しお休みなさい。

どうせ感謝に終わる

どうせ感謝に終わる

どうせ最後は感謝に終わる

どう生きようが。どう死のうが。どう稼いだとか。どう愛したとか。

どうせ最後には感謝に終わる。

 

死ぬ直前何を感じるか。

生きているだけで苦しかったり、会いたくない人と会わなければならなかったり、愛する人がいなくなってしまったり。

でも、最後はやっぱり感謝で終わると思う。

一輪の花を見て励まされた一瞬がその時に蘇るような、ありとあらゆることが全て感謝で終わると思う。

 

鬱陶しい夏の虫たちが、出会った喜びになるくらい。

寒い寒い冬が、そーめんしか食べれない貧相な時期が全て

ぐるっと回って感謝に終わる。

まだ死に目には合っていないのだけれど、そう言う気がしている。

 

冷たい風は、帆に当たり進行方向へ進む動力となる。

 

だから、だから。

偉大なる感謝を持っていこう。

大きいものは小さく、小さいものは大きく見えるものなんだから。

足りないものってなんだろう

本当に何ににでもなれる。

僕はそう思っている。

 

がしかし、現実に自分の行動をモチベーションを高めて本当に行動に移すことはたやすいことではない。

そこには自分と己の葛藤がある。

自分は本当にぐうたらなもので、すぐにぐうたらの方向に行ってしまう。

己はもっと時間を有効に使って、勉強し、行動し、前に前に前進するイメージはある。

 

その私の中にある 自分 と 己 の中でいつもいつも矛盾が発生しているせいで私は落ち込んでしまう。落ち込むは落ち込むのだがすぐに「これでいいのだ」状態になってしまう。と思えば。「これでいいのだ」を続けているとまた「これではいけないのだ」がやってきて。やろうと思っているのだが「これでいいのだ」の威力は大きくまた逆戻りしてしまう。

 

イチロートヨタの社長の対談で、イチロー

「成長する過程で後退が発生する」

と言っていたのを、いいように捉えてすぐ「これでいいのだ」を繰り返してしまう。

今は後退の時期なのだから。と。

多分、成長する過程でのストッパーみたいなものをイチローは言っているので、自分の状態と同じにすることは間違っているのも気づいているのだけれど。

 

 

習慣を定着せせるにはまず何が必要か自分なりに考えてみたところ、

もったいない を大きくしていけばいいと考えた。

この時間の使い方 もったいない か もったいなくない かをいちいち考えていこうと思う。

時間は本当に戻ってこないすごい貴重ものなのに、

幸せなのかナメているのかわからないが結構ぞんざいになってしまいがちだ。

 

あーこのまま何もしないまま終わってしまうのがすごく怖い。

もったいない の精神満載だ。だったのだ。

 

もったいない をどんどん小さくしていこう。

やりたいこと100個書き出して、全てやり尽くそう!

 

もったいない って最強なのかもしれない。

よーし もったいない! もったいない!

あれもそういえばもったいない!

あれとあれを組み合わせたら もったいなくない!!

もっと貧乏なふりをして、何も手に入れていないようなふりをして。

もったいない! 才能も心も僕の臓器全てにもったいないをなくしていこう!

 

もったいない!

と考えられることは

もったいなくない